どうしてうつになるのか

なぜ、僕はもう40年近く、うつの状況が続いているのだろう。時々本当に嫌になってしまう。ココロが折れそうになる。



昨日、上野千鶴子の「おひとりさまの老後」という本を読んで、思い当たる事があった。
この本の中に、「男は結局仕事の中に生きて、人間関係のネットワークを築く事ができないまま、退職すると妻をたより、いやがる妻が離婚を迫る」みたいな事が書いてある。

今までこういう男性は他人事のように感じていたが、この本を読んで、実はそうではないと思った。

自分も、うつの症状をコントロールしながら、「安全運転」で仕事をしている。決して積極的に仕事に取り組まず、リーダーシップなどは発揮せず、大人しく人の後ろに隠れるように仕事をする。

しかし、そう言うスタンスで仕事をする事自体が自分にとってストレスなのだ。申し訳ないという気持ち、自分が活かされていないという感じ。
こういう気持ちは、誰しも感じるものだと勝手に思っていた。

「おひとりさまの老後」を読んで、こういう感情はみんなが持つものではないのだと判った。仕事以外にも、自分の居場所があり、しかもそいうい場所が複数ある人は、決して仕事に依存しない。仕事に対して半身でつき合う。だから、仕事が少なく出世できなくても良しとする。そう言う人が退職後も生き生きと生活しているのだそうだ。

残念ながら僕はそうではないなと思った。
居場所が複数どころか、大げさに言うと今は一つもないからだ。

居場所がないと感じたのは、小学校の頃。家庭でも学校でも、なにかこう、ピッタリこなかった。自分の感覚と、友達たちの感覚、先生の指導など、微妙にズレた居心地の悪さがあった。その居心地の悪さは、中学・高校・大学・社会人と年齢を増すごとに厳しくなる。同時に、そのズレを、なんとかごまかす術も身につけて行った。しかし、その社会適応への努力が、結局僕を蝕んできたのではないかと思う。

人に合わせてばかりいる生活が続いた事で、自分を見失って行ってしまった。安心して過ごせる場所を見つける事ができなかった。築いた家庭が唯一そう言う場所だったが、子供の成長と、僕のうつという病のせいで、妻との関係もぎくしゃくして、今でも決して居心地の良い場所でもない。

没頭できる趣味もない。


だから、仕事に頼る。半身で向き合い、安全運転で仕事に向き合わなくてはならない事は頭では判っているが、つい、気を許したときに新しい仕事を引き受けてしまう。

そして、また病を悪化させて行く。

ここ20年は、そう言うサイクルの繰り返しだった。(と言うことに改めて、「おひとりさまの老後」を読んで気がついたというわけだ)


うつと上手につき合うためには、自分の駄目なところも受け入れなくてはならないという。ドジで間抜けな私は、いつも同じ間違いを犯す。今もその間違いを犯しつつあるような気がする。


気をつけなくては行けない。


そして、今更無理かもしれないが、自分のセーフティーネットの構築が必要だとしみじみ思う。

今更無理かもしれないが、40年出来なかった事ができるとは思えないが、

あきらめてはいけない。