52日目 月曜日

 朝6時ごろに目が覚める。雨が降っている。今日はどんな一日になるのだろう?午前中は会議と打合せ。しにそうなしんどさというか辛さに苛まれる。夕方から大学での説明会の予定だったが、上司に言って、今後の説明会は全部代わってもらうことにした。そのまま帰宅。妻が心配している。しかし、説明会に備えてリタリンを飲んだので、自分は妙に元気。

53日目 火曜日
 朝から普通に出社。本当は休みたかったが、午前中の会議があるので出社した。午後はやることがないので手持ち豚さ感が返って辛い。必死の思いで机にいる。定時で帰宅。東海道線に乗ったが、息苦しくなり途中で下車して、タクシーで帰宅。かなり駄目な気分。

54日目 水曜日
 無理すれば出社できたが、今日はもともと出張の予定だったのを替わってもらっているので、休むことにした。妻といろいろ話をする。その妻が外出して夕方まで戻らなかったのだが、その間一人でほとんどパニック状態になる。原因は不安。この先どうなるのだろうかという思いと、なんでこんな風になってしまったのかという後悔が、一気に吹き出てパニック。レキソタニンを朝も昼も飲まなかったせいもある。おまけに足の裏が異常に冷える。非常に辛い一日。夜、温灸の先生のところへ行く。その先生に言わせると、薬の副作用で内蔵機能が低下していることが良くないという。また薬が脊髄に溜まって悪さをするという。それを、温熱で流しださないと治らないと言われる。行く時も帰るときも、異常に目が疲れてしんどい。ふらふらする。

55日目 木曜日
 今日も休む。昨日よりは少し良い。レキソタニンを飲んだせいもあるかもしれない。ただ異常に足が冷えるのが辛いのと、眉間に蟲がいて、ちりちりして落ち着かない。夜には結構落ち着いている。そう思って安心して温灸をしていたら、妻がストレスで倒れてしまった。おまけにパニックになっていて、なだめるためにアドレナリンが出て正気になった。妻も僕のひどい状態を見て、辛いのだとしみじみ判った。

56日目 金曜日
 今日は産業医との面談があるので出社する。朝は妻がまだ寝込んでいるので、子供の朝ごはんを作ったりした。それで疲れて出社が遅れる。出社したら諸々仕事や会議があって、疲れるが、火曜日よりはましだった。15時から産業医と面談。いきなり三ヶ月休みなさいと言われた。ある程度予想はしていたが急にそんな事言われて動揺し、もう業務に耐えられないほど悪いのかと思うと、口惜しさに涙が出てきた。三ヶ月休むということは、今の部署を異動しなくてはいけないことになる、それも口惜しかった。副作用のせいだと、言い返したが、通用せず、結局押し切られる形で休むことにした。そのあと上司と話したら、もう結果は判っていたようで、すでに産業医と僕を休ませる方針でいたことがわかる。部下にもさよならを言わなくてはいけなくて、それも辛くて涙が出た。いったんは吹っ切れて、これからの業務の忙しさから開放されるという安心感もあり、ほっとした面もありながら、口惜しいという思いが交錯する。

57日目 土曜日
 朝からなんだか落ち着かないというか、長い休みがスタートしたわけだがそれに気持ちが追いついていない。口惜しさと、自責の念と、この二ヶ月のあっという間の展開に気持ちが追いつかない。朝食は相変わらず食欲がない。午前中は妻と一緒に買い物。思ったほど辛くはない。一人で家に帰って、気持ちが落ち着かないので、認知療法の本を読み返してみる。そうすると思ったより気持ちがすっきりした。それでこの日記を書いている。現在身体症状は、足が相変わらず少し冷えるくらいで、それほど辛いことはない。